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有吉弘行のエピソード集

2012.11.19 (Mon)|
・1993年3月2日放送分読売テレビ『EXテレビ』の企画「公開弟子審査会」に合格し、オール巨人に弟子入りする。しかし、他の弟子との喧嘩が原因で、謹慎を命じられる。謹慎扱いとなった有吉は、1994年に森脇和成とお笑いコンビ猿岩石を結成し、猿岩石のボケ担当としてデビュー(有吉弘行 - Wikipedia)。

・1996年に『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題になり、帰国後、大ブレイクする(有吉弘行 - Wikipedia)。

・誰もが知る人気者となり、CDや著書が爆発的に売れるも、ほどなくして人気は低迷し仕事が激減。それから7・8年間、広島のローカル局での出演以外は仕事がなく、経済的に自活することもできずに食事などは上島竜兵らの世話になっていた(有吉弘行 - Wikipedia)。

・上島とは毎日のように行動を共にし、頻繁に小遣いを貰っていた。また、その頃上島から「月に30万円やるから、ずっと俺の傍にいてくれ」とも言われた(有吉弘行 - Wikipedia)。

・2004年3月に、森脇との方向性の違いで猿岩石を解散。ピン芸人として活動を始める(有吉弘行 - Wikipedia)。

・2004年ごろから、『内村プロデュース』に度々出演するようになり、これが久方ぶりの全国ネット番組への出演となった。同番組内では「猫男爵」「笑わないキング」といった名物キャラクターも生まれた(有吉弘行 - Wikipedia)。

・2007年ごろから、他のタレントや芸人に対しての「あだ名の命名」が注目され始め、「毒舌芸人」「イジり芸人」として多くのバラエティ番組に出演するようになる。再ブレイクを果たしたため、「一発屋」ではなく「二発屋」という異名を持ち、本人も度々名乗ることがある。「一度目は芸人として売れたわけではない」との理由で、「1.5発屋」と名乗ったこともある(有吉弘行 - Wikipedia)。

・その後順調に仕事は増え、2011年にはメディアの調査・分析を行うニホンモニターの調査による『2011年テレビ番組出演本数ランキング』において、出演総本数499本で1位となった(有吉弘行 - Wikipedia)。

・2012年3月、広島県観光大使に就任した(有吉弘行 - Wikipedia)。

・名前の読みが「ひろゆき」ではなく「ひろいき」である理由は、父親が役所に名前を提出する際に、酒に酔っていたため「ひろいき」と間違えて申請したためである。そのため、父親は「ひろゆき」と呼んでいると有吉は語っている(有吉弘行 - Wikipedia)。

・プライベートでは自分に返ってくるとの理由で陰口などは言わないようにしている。女子中高生各1,000人にアンケートを実施している「@peps!ランキン」でも「毒舌芸能人No.1は?」で1位にランクインしている(有吉弘行 - Wikipedia)。
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フットボールアワー・後藤のエピソード集

2012.11.19 (Mon)|
・趣味のギターを芸に利用することがあり、ローカル番組『ノブナガ』においては今田耕司プロデュースの『GO★TO』としてEDテーマ曲を自作・演奏・歌唱しており、曲はCDデビューを目標に、着うたとして部分的に配信されている(後藤輝基 - Wikipedia)。

・吉本男前ランキングの常連だったが、ブサイクランキング殿堂入りである相方の横にいるから良く見えるのだという指摘や、それによって最終的に「たいしたことない」と評されることを主にネタにしており、後藤自身では「ギリギリイケメン」と称している(後藤輝基 - Wikipedia)。

・鳥に似ていることを自他共に認めているため、「地鶏亭ピーチク」「鳥類亭トリガラ師匠」など、扮するキャラクターが鳥にまつわる名前になることが度々ある。また、宝塚歌劇団の男役に似ていることもネタにされる(後藤輝基 - Wikipedia)。

・ゴッドタンで作曲した「ジェットエクスタシー」(通称ジェッタシー)の曲やPVのダサさが有名となり、番組の人気企画になった。掲示板やツイッターでダサいの代名詞や悪い意味で使われることがあることがたびたび番組で話題になる。(例、「腹の調子がジェッタシー」「オレの今日の服ジェッタシー」)(後藤輝基 - Wikipedia)。

・大腸ポリープを、7個切除したことを明らかにしている。なお、父親は11個切除している(ざっくりハイタッチ 2012年11月18日)。

・黒柳徹子に、『あなたたち、あの…あの…ジメジメした2人の番組によく出てらっしゃるの?』と言われた。その"ジメジメした2人"とは、雨上がり決死隊のことだった(ざっくりハイタッチ 2012年11月18日)。

・「どんな番組に出たい?」と訊かれて、「若手が死にそうになっていて、それを腹抱えて笑う番組」と答えている(ざっくりハイタッチ 2012年11月18日)。
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千原ジュニアのエピソード集

2012.11.19 (Mon)|
・大阪時代には、大阪地方裁判所の公判をよく傍聴していた。ある公判を傍聴中、入廷した被告人がジュニアを指さして「あっ! ジュニアや!」とはしゃいだために、ジュニアが退廷を命じられたこともあった。
パソコンを所有しているが、コンピューター音痴で、執筆活動も手書きである(wikipedia)。

・大阪の二丁目劇場で活躍していた頃は、劇場のすぐ近くのマンションに住んでおり、ジュニアの部屋を知っているファンも多かった。そのため、いたずらをされることも多く、一番酷かったのは「部屋のドアに、マヨネーズで『ケチャップ』と大きく落書きされた」ことだという(wikipedia)。

・1995年11月に、大阪でAPECが開かれた際、会場の大阪国際会議場を臨むマンションに住んでいたジュニアの元に、大阪府警機動隊がやって来た(要人を狙撃するには最適の場所であったため)。開口一番、機動隊員から「過激派か?」と聞かれたことに腹を立てたジュニアは、「どちらかと言うと過激派」答えたが、逆に「いちびるな!」と一喝された(wikipedia)。

・大阪時代、部屋にケンドーコバヤシが遊びに来た際、ジュニアの当時の彼女が料理を作った。表面的には無愛想だったジュニアだが、彼女とすれ違いざまに小声で「美味しかったで」と囁いていたという(wikipedia)。

・「ジュニア」と呼ばれるようになったのは、当時せいじのバイト先の喫茶店で、浩史が読んでいた漫画「キャプテン」に出てくるキャラ・「五十嵐」の弟が「五十嵐ジュニア」と呼ばれているのを、喫茶店マスターが気づき、提案したことから(wikipedia)。

・兄のせいじに隠れている印象があるか、天然ボケな一面がある。後輩と靴店へ行った際、「こんなブーツ出たんか、かっこええなぁ」と感想をもらしたが、その時自分が履いていたものとまったく同じブーツだった(wikipedia)。

・コントライブのセッティングの際、ジュニアは「照明がいつまでたっても明るくならない」と怒っていた。その際ジュニアは、サングラスをかけていた(wikipedia)。

・「ジュニアを含む5人でコントライブを開催しよう」と陣内智則が言ったものの、5人共スケジュールが合わず、稽古さえ出来ない状態だった。ある番組の収録の際に、楽屋でジュニアは陣内に対し「ようこのスケジュールでやろうと思ったな」と冗談半分で言った。しかし、返事がなかったため隣を見ると、陣内だと思って喋りかけた人物は、バナナマンの設楽統だった(wikipedia)。

・がさつな人をじゃんけんで例えて「グー派」・神経質な人を「チョキ派」と話し、自身はチョキ派と豪語した後の後輩との食事の席で、「グー派の人はこういう席でもソースや飲み物をこぼすんやろなぁ、考えられへんわ!」と言ったその瞬間、Tシャツにワインをこぼした(wikipedia)。

・「ジュニア」に改名した理由は、占いを得意とする小笠原まさやから「『浩史』ではとがりすぎて周りに敵をつくり、『Jr.』では女性的すぎて結婚できない、だが『ジュニア』にすれば、巨万の富を手に入れます!」と言われたことから(wikipedia)。

・前述のバイク事故で多くの芸人のお見舞いや励ましを受けたが、中でも東野幸治が取り寄せた「鶴瓶上岡パペポTV」の最終回のVTR(編集前のノーカット版)で島田紳助や明石家さんまが爆笑を取っている様を見て、「出る側(芸人)に戻りたい!」と強く決意をした。なお、この話を聞いた山崎邦正は、見舞いに来て「そのVTRを貸してくれ」とジュニアにせがんだ(wikipedia)。

・バイク事故の退院後、『さんまのまんま』にゲスト出演した際、明石家さんまから「退院祝い、何がええ?」と聞かれ「レギュラーください」と冗談で言ったつもりが、後日実際に、『おかしや?さんま!』にレギュラー出演が決まった。当時、さんまはTBSから深夜番組の依頼を長年に渡り断わっていたが、千原兄弟にレギュラーを与えるためだけに、この依頼を承諾した(wikipedia)。

・『14歳』を執筆した際、タレントの書いた本に厳しい評論家に「これはな、聖書だよ」と言われた(wikipedia)。

・2011年7月13日、新大阪駅のホームにて一般女性とぶつかり、左足の小指をハイヒールで思い切り踏まれて骨折し、全治2ヶ月ほどの重傷を負った。翌日7月14日のレギュラー番組である『森田一義アワー 笑っていいとも!』では松葉杖をついて出演し、レギュラー陣たちからも手助けされていたが、タモリと笑福亭鶴瓶からは「そこまでして笑いを取りたいのか?」と散々イジられていた(wikipedia)。

・中学生時代、友達と接することのない引きこもり生活をしていたことから、定番とも言える遊びをあまり知らない。2010年に、芸人仲間とパリに旅行した際、36歳にして初めてトランプの『大富豪』をし、「こんなオモロい遊びがあったんか!!」と感動した。その一方、ボクシングファンを公言し、ジムに9年以上通っており、格闘技には意外と興味がある模様(wikipedia)。

・せいじの息子からは「ジュニアパパ」と呼ばれて慕われており、メールのやり取りをしたり一緒に旅行へ行ったりしているが、ジュニア曰く「(せいじの息子は)ぎゅっとしたせいじ」で、性格はせいじと似て達者なようである(wikipedia)。

・これまで、ナインティナインと加藤浩次の3人とは共演していなかったが、2012年6月23日放送分の「めちゃイケ」で、およそ20年ぶりに共演を果たした。3人ともそれぞれ「プライベートで少し揉めた釈明をする機会がないまま20年経ってしまった」ためだと言う。また、この日まで吉本興業所属のタレントの中で、この3人だけがデビュー以来テレビ共演が無かったと言う。後日、「みんなでデブエット」のコーナーに出演し、大量のちゃんこ鍋を前に乾杯した際に「初めてナイナイと酒を飲むんなら、もう少しまともな環境で乾杯したかった」とコメントした(wikipedia)。

・バイク事故の際、脳損傷でお笑い芸人としての能力が失われてないかどうかを心配した構成作家が、千原ジュニアに大喜利のお題を出されて。そのお題とは、『見舞いにきた客が、舌打ちをして帰っていきます。何故?』っていうものであり、千原ジュニアは、『ハンモックで寝てる』と書いて、構成作家は安心したという(千原ジュニアが語る「バイク事故からの生還、芸人復帰」)。

・小学校1年生の頃に、初めて自宅でマカロニグラタンを食べた際、あまりの美味さに気づくと玄関に立っていた。食べ終わり、おかわりを要求した際、『もう無い。グラタンは一皿ずつ焼かなアカン』と言われたため、『こんな美味いものをおかわりできないなら、もう出さんといてくれ!』と母親に言ったという(ざっくりハイタッチ 2012年11月18日)。

・『とんねるずのみなさんのおかげでした。』と『リンカーン』に出演したことがないことを明らかにしていた(ざっくりハイタッチ 2012年11月18日)。

・今出たい番組は?と訊かれて、「志村動物園」と答えている(ざっくりハイタッチ 2012年11月18日)。
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ケンドーコバヤシが使用している保湿剤

2011.01.02 (Sun)|
2011年01月02日放送の「浜ちゃんの大正月SP芸能人 私生活大捜査」にて、ケンドーコバヤシがゲスト出演していた。そこで、ケンドーコバヤシの愛用している保湿剤が明らかになっていた。

後輩芸人と一緒に風呂に入る際、「どうや?お前は20代後半、俺は30代後半。それなのに、俺の方が肌が水を弾くだろ?」という語りかけるというケンドーコバヤシ

そんな彼が夜寝る前に使用する保湿剤は「UL・OS(ウル・オス) スキンミルク」と判明した。

彼のスベスベ肌に憧れる人は、是非使ってみてはいかが?
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バナナマン設楽「マスコミのやり口について」

2010.05.09 (Sun)|
(相手を怒らせないように、失礼なことを言う方法として)「一回、褒めておくとかっていうパターンもありますよね。『すごい好きなんですよ。一度、お会いしたかったんですよ』みたいなことを言うんです。その後に落とすんです。マスコミのやり方ですね」
(バナナマン・設楽が語る「自分と有吉弘行との違い」)

バナナマンのバナナムーンGOLD 2010年05月07日放送より。
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