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ラジオで語られたカンニング中島忠幸さんの闘病経過

2006.12.22 (Fri)|
生はダメラジオ(2006/12/22)での竹山さんの発言
「どうも、竹山です。みなさんも知っての通りだと思うのですが、昨日の20日午前1時46分僕の相方の中島が35歳で白血病で亡くなりました。僕も昨日の今日で、どうしようかと思ったのですが、やっぱり毎週生放送でやっている限りは、リスナーや世間一般的にも言っていなかったことがあったので、今日はそのことを話したいと思っています」


「話しづらいこととか、どのようにラジオを進めるのか、とか悩んだんですが、泣きながら(放送)ということはありません。昼間、記者会見をやらしていただいて、その場でも話しましたけど、やっぱり泣きました。残念は残念だし、やり切れない思いもある。だけれど、これは仕方のないこと」


「2年前の11月頃に白血病だと分かりました。2年前は急に忙しくなって、生活が一変した。テレビやラジオの仕事をするようになって、日々寝てない状態で、フラフラで働いていた。中島は体調が悪い、ということになって…みんなでロケバスで寝ていたら、あいつが立ち上がれなくなってしまって…いよいよ病院へ行け、ということになったんですよ。そこで、急性リンパ球性白血病だと分かりました。
 …今年の2月、臍帯血移植することになりまして、僕は2月くらいに会社に呼ばれまして、臍帯血移植とはなんぞや、という説明を受けました。それで100%治るという確証はないけれど、中島は意欲的にやる、と言っていた。けれど、もしや、ということもあるので、覚悟しておいてくれ、と言われた。けれど、そのことに関しては中島と話すことはなかった。とりあえず『頑張れ』と言うくらい。ほかは、笑い話をしていた。本人も、『絶対に生きてやるわ』と言っていた。最初の内は検査結果も良かったけれど、今年の5~6月に再発してしまった。…そこで、今年の夏頃に臍帯血移植をまたやりました。中島は治療に意欲的だった。自分も、ちょっと『やばいな…』と思っていたけれど、もう祈るしかなかった。あいつは、『(臍帯血移植で)血液型が変わったら、占いとかどうなるん?』とか笑い話にしていた。その後、夏に寛解状態になったので喜んでいた。その後は、リハビリを続けながら、復帰に向けて頑張っていたんですよ。
 みんなで釣りに行ったりとかね。さすがに夜までは無理だったけれど、昼に顔をだしたりとか、子供と公園にいったりとか、あいつは頑張っていたんですよ。夏以降は調子が良かったんで、俺も希望をもっていたんです。
 …病院で一緒に昼飯を食っているとき、どんなことをやりたいか、どんなネタをやりたいかとか話してたんですよ。けど、(報道されていたように)24時間テレビでのプロデュースなどの話は、ありませんでした。
 春に…、間に合わなかったら夏までにライブをやりたいから、2月頃からネタを作らないと間に合わないな、なんて話してたんですよ。
 ですが、11月に再発してしまいました。3度目の再発だったので、…本人も、ショックを受けている様子でした。けれど、あいつは俺には辛いとか、そういうことは言いませんでした。…11月の終わりから入院してました。それで12月の頭に金曜の夜に明日、病院に行きたいんだけど大丈夫そうか?ってメールを送ったら、『明日、家に帰っても良いと許可がでたので、来てもいない』と言われた。
 …その2日後くらいに、ウィルス性の肺炎を併発しまして…収録の後に飲みに行こうとしたら、マネージャーから電話があって『肺炎を起こした』と知らされて病院に行きました。…病院に行ったときは、人工呼吸器が着けられていて…もう、喋れませんでした。その姿を見たとき…正直『もう、ここまで…』と思って、非常に落ち込んでしまった。けど、奇跡的にどうかなるのでは、と思っていた。奥さんも、義理の父母も必死に看病していたけれど…昨日、亡くなってしまいました。
 年末、忙しかったけれど収録終わりにはずっと病院による、という生活が続いていた。一昨日の帰りに、マネージャーから『医師から今晩から危ない状態だ』と聞かされた。昨日の朝10時頃に、一言かけてから仕事に行ったら、その…1時間後に亡くなってしまいました。正直、人工呼吸器を着けているときは本当に辛そうだった。(亡骸を見て)楽になれて、よかったという思いもあった。
 色々いわれていることもありますが…給料の半分をあげてた、とかありますが、サンミュージックが上手くやってくれてただけです。それに、あいつもコメントやネタを考えてくれてて…裏のあいつがいて、表の俺がいるというだけなんです。
『白血病の子供にも、元気を与えられたら…』といっていたけど、それももう出来なくなってしまった。無念だったと思う。今日も、会見でもいいましたけど、俺の出来ることといったら、お通夜や告別式をやることがカンニング、コンビとしての最後の仕事だと思う。…俺が働くことで、あいつのことを視聴者が思い出してくれる。だから、俺が一生懸命に働くことでおぼえててもらえるように、働いていきたい」
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